星降る夜の記憶 [エンディング]
1.
ヴァルケルガーはラギスの最後の一撃に耐えられず霧散した。
いつのまにかそこに”賢者”と呼ばれていたオウガの女が現れていた。すぐ目の前に立っているようでありながら、手を伸ばしても届かない、現実離れした距離が三人との間に横たわっている。
「あなたがたの戦い、見せていただきました」
「これで”試し”は終わり、ということで良いのか?」
戦いの高揚で息の荒くなっているラギスがその呼吸の合間に問いかけると、彼女は小さく頷いた。
「はい。あなたがたのその、憎悪に飲まれない心の強さ、確かに見届けました」
そこで彼女は視線をあげ、ラギスをまっすぐに見詰めた。
「あなたであれば、リーゼギュルテルの真の力を発揮させることができるでしょう」
「真の力とは?」
ラギスの再度の問いかけには、彼女は言葉では答えなかった。ただ静かに、かすかに微笑むように唇を動かしただけ。しかし、『真の力』を確かめようと力帯に触れたラギスははっきりとその違いを感じ取ることができた。それまでは猛々しく力に満ちていた帯のまとう気が、今では温かく優しくさえ感じられる。
例えるなら、全てを焼き払おうと荒々しく燃え盛る炎であったものが、輝きは鈍く灰の奥に潜みながら鉄をも溶かす熱を秘めたおき火になったように。
「これが、リーゼンギュルテルの本来の姿だというのか…」
「その状態ではいわば準備状態といったところです。必要な時が来れば、あなたにより大きな力をお貸しすることができるでしょう」
「確かに、今までとはどこか違うようだ」
”賢者”は満足そうに頷いた。
「あなたが望めばリーゼンギュルテルは力を貸します。ちょうど、あなたも見ていましたね、王が竜を倒したときのように」
その言葉を聴いて、それまではまるで他人事のように成り行きを見守っていたデイヴィッドがふっと表情を固くした。
「あの時はリーゼンギュルテルも完全な状態でなく、王もこの力帯を完全に使いこなせてはいませんでしたので、あのようなことになりましたが…。あなたであればあの吹き上げる炎を使いこなすことも不可能ではないでしょう。当然ながらそれ相応の負荷は覚悟していただかなければなりません」
「無論だ」
ラギスは重々しく頷いたが、アリアンははらはらとオウガの大きな背中を見つめ、隣に立つデイヴィッドの固い横顔を伺った。
「他にも何かわからないことがあれば、力帯を通じていつでも答えることができますし、詳しいことはグリゼルダが説明するでしょう」
「そうか。ではこれから世話になる。その時にはよろしく頼む」
ラギスはオウガの戦士の最高の礼とともに”賢者”に感謝の言葉を述べた。”賢者”今までで一番温かく優しい笑みでそれに答えた。
「こちらこそ。あなたのような騎士が現れてくれたことに感謝します。では、またいずれ会いましょう」
その言葉を最後に彼女は姿を消した。
いや、三人の意識が一瞬にして途切れた。
2.
ふと気がつくと、そこはグリゼルダたちの住まいである小さな家の一室だった。思い出すのに少し時間がかかった。ラギスの意識の中では、それはもうずいぶんと昔のことのようにリーゼンハイムでの数々の記憶の下に埋もれてしまっていたからだ。
しかし、そうと解るとなにが起こったのか、なにをしていたのかはすぐに鮮明に思い出された。
「…無事に戻ってこられたようだな」
そう呟くと、横手から声がかかった。
「おはようございます」
それはデイヴィッドの声で、やはり少し呆然とした表情で部屋を見回していた。彼の向こうではアリアンも身体を起こしている。
部屋はカーテンがかかっているせいで薄暗いが、出発のときからそう時間はたっていないようだった。あるいは、丸々何日かすぎているのかもしれないが。
そして彼らの正面、床に敷かれた毛足の短いラグの上に、この深遠な旅を演出した女がしどけなく横たわっていた。目を閉じて眠っているようだった。
「お疲れ様です」
その姿を目にしたデイヴィッドが立ち上がり、自分がかけていた毛布を彼女にそっとかけようとする。そのときを待っていたかのようにグリゼルダが目を開けた。
「まったく。うまくいったのぉ?」
「ああ」
鋭く見据えられてラギスは深く頷いた。
「リーゼンギュルテルには認められたようだ」
「それはなにより」
ラギスはそこで、彼にしては珍しく言い難そうに言葉を躊躇ったすえ、重い口を開く。
「シェルフェンに関することは…、あれがそのまま、事実だというのか?」
「まあ、事実よ」
問われたのはもちろんグリゼルダ。彼女はゆっくりとそしてはっきりと答えた。
「シェルフェンも一人のオウガだったということか」
「そうよ。ただのちっぽけな」
「シェルフェンさんが抱えていた悩みや、劣等感…私にも分かります。自分が何もできない無力な存在だって悩む気持ち、私にもありましたから」
そこでおずおずとうつむいたままアリアンが口を開いた。
「なんか、いけないな。シェルフェンはラギスさんの敵、ってだけじゃなく思えてきてしまいました」
「そうですね。彼もまた救われるべき存在だったのでしょう。ここまで知ってしまったからにはもう、放っておけもしないですよ、あの人を」
デイヴィッドも何度もうなずきながらいつもののんびりした口調で同意する。ラギスは今にも泣きそうな顔をしているアリアンと穏やかな微笑を浮かべているデイヴィッドを順番に眺め、わずかながら心が軽くなるのを感じた。
「ねえラギスさん」
「なんだ?アリアン」
「あのですね…、ヘンなお願いなんですけど」
ラギスは黙ってアリアンのお願いの続きを待つ。
「シェルフェンさんと対峙するのでも、そのぅ、向き合ってあげるのがいいんじゃないでしょうか。あのひとはずっと、弱いことを気にかけていたのではなくて、一人ぼっちで寂しかったんじゃないかって思うんです。だから、ラギスさんはシェルフェンさんと勝負しに行く、っていうのはどうでしょうか」
闇の魔神を討伐し、滅びを与えるための戦いというのではなく。
それはここまでの道のりを考えれば突拍子もない、そして甘い考えかもしれない。しかしラギスは不思議と違和感を感じなかった。
「そうだな。…もとからそのつもりではあった」
「え?!」
デイヴィッドとアリアンが異口同音に驚きの声を上げ、グリゼルダは忍び笑いをもらした。
「自分が戦いを好むことは否定しない。強いものを求める心があることも。これは二人には解らないかもしれんがな」
「確かに、オウガ独特の心理は我々には解らないかもしれませんがね。きっとまぁシェルフェンも探しているのでしょうよ。力を認め合える…オウガ風に言うところの強敵(とも)ですかね?を」
ラギスは苦笑して、デイヴィッドの意見を否定しなかった。
「強くならねばならぬということだな」
「ラギスさんならできますよ!だって、なにしろほら、一人じゃないんだし」
アリアンがやっと笑顔になってラギスの顔を見上げた。
「相手が一人で、闇の力を手に入れたというのなら、ラギスさんは人の力でそれを成し遂げましょう」
デイヴィッドは深く頷いてラギスをまっすぐに見つめる。
「そうだな。これからも色々あるかもしれぬが、よろしく頼む」
そして三人はそれぞれ右手を差し出し、力強く互いの手を握った。
3.
「デイヴィッドさんにちょっとお話があるんですけど」
いつにもなく改まった口調、神妙な顔つきでアリアンが話しかけてきたとき、デイヴィッドはちょうど家の裏手で洗濯物を干していた。周囲には彼ら二人以外の人影も気配もない。
そういうタイミングを狙ってきたのだと、長い人生をへてきたデイヴィッドにはピンときた。
「なんでしょう?」
「ええと…ええと」
アリアンはずいぶんと言い淀んだが、デイヴィッドは待った。
「デイヴィッドさんのあの、海の力は、あれは使い手の命を危険にするもの、なんですよね?」
「はい」
なるほど言いよどむはずだ。しかしデイヴィッドは表情一つ動かさずにはっきりと答えた。ごまかしても仕方がないことだから。
「もし、リーゼンギュルテルが炎を吹き上げて、それが制御不能になった場合… 、その炎を消し止めようとすると、デイヴィッドさんは危険なことになるんですよね?」
「はい。…それがこの力を受け継ぐ者がほとんどこの世に残っていない原因のようですよ」
そう答えておいて、洗濯物干し作業に戻る。顔を背けていても、アリアンが続きの言葉を探すのに苦しんでいる様子は伝わってくる。
「もし、そういう状況になったら、どうするんです…か?」
「さあ?どうでしょうね、私にもそれは判りません。ただまあ、自分にできることがあるんなら、やっちゃうんじゃないですかね」
「ですよね!」
そこでうつむいていたアリアンが顔を上げ、声のトーンも少し上がった。おや?とデイヴィッドはかごから洗濯物を取り上げるついでに彼女の顔をちらりと盗み見た。
「私、たぶんあの鎧を壊せるんです」
「ガイリングのときのように?」
「はい。あのときみたいに。…ラギスさんは絶対に止めろと」
「そうでしょうね」
デイヴィッドは顔をしかめた。
「私も止めますよ」
「でも今、できることがあったら、ついついやっちゃうって!」
「ダメですよ」
作業の手を止めて、振り向いて、アリアンの目を正面から見て、ゆっくりと言い聞かせた。アリアンはまるで小さな子供のようにふくれっ面になっている。
「ありがとうございます、って言うべきなんでしょうね」
「貴女の力の行使には覚悟がいります」
「それはデイヴィッドさんも一緒じゃないですか!私は、覚悟は…しています」
デイヴィッドはやれやれとため息をついた。二人は並んで立っていれば同年代に見える。けれどもアリアンはデイヴィッドから見ればまだまだ小さな女の子同然だ。赤ん坊のミシェルとそんなに違いはない…などと口走ってしまったら、アリアンはきっと顔を真っ赤にして怒るだろう。
デイヴィッドは穏やかな笑みとともに、優しく噛んで含めるように言った。
「我々の力の行使はね、たまたま”死”まで行ってしまうんですよ。まぁ大抵は、事前に感じられますけどね。ただ、どうしようもなく他にどうする手段もないとき、思わず使ってしまうんです。我々そういうさがなんです。とっさに使って思わず死んでしまうそうで、30までは生きないそうです。みんな」
アリアンの目が膨れ面のままでじわっと潤んだ。
「我々の場合は使ってから結果が分かりますから」
「私、の場合は…」
続きは聞かなくても、隠し事のできないアリアンの顔を見ていれば分かる。むしろ聞きたくなかった。前回は、デニス・キーヴァインの周到な準備と手回しがあったからこそ戻ってこられた。彼の心はアリアンの代わりに彼岸に行ってしまった。結果はおのずと知れている。
「でも、私たちがラギスさんと知り合ったのは、運命とアルカナの導きです」
「仰るとおりです」
「使うべきときに出し惜しみなんてできません。…デイヴィッドさんなら解ってくれると思ったのに」
「もちろん解りますよ。ですが貴女には他にもやらなければいけないことがあるんです」
それはなんなのか、彼女は分からないと眉根を寄せる。
「戦いというのは戦ってお仕舞いではありません。その先があるから戦うんです。はっきり言わせて貰えば、その若い身空で、悲劇のヒロインぶって命を落とされてはいい迷惑なんですよ。…貴女は生きてください。生きていればいいこともありますよ。それにね、私もう嫌なんです。後から生まれた人が先に死ぬのを見るのは」
とうとう堪えきれなくなったかアリアンの左目の目じりから雫が落ちた。と同時に鼻からも。
「そんなの私だって、いやです!私を大事に思ってくれてる人が、目の前で死ぬのを見るのは!」
鼻をすすりながらまるで駄々っ子のように、彼女は言い張った。
「三人とも無事じゃなきゃダメなんです!」
「そうですね。やってみないと分かりませんが、私だって死ぬつもりはありません。死なせるつもりもありません。私にはオムツも取れていない娘がいるんです」
「そうですよ。ミシェルちゃん、一人ぼっちにするなんて絶対ダメですよ、パパ」
相変わらず鼻をすすりながらアリアンはやっと笑顔になった。
「そうですねぇ…。頑張りましょう」
「うん。私たち、一人じゃないんですもんね」
アリアンがおずおずと右手を差し出す。デイヴィッドはその手を取った。
「生きて戻りましょうね」
星降る夜の記憶 完
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