◆王女と放浪者◆

「本当に!?」

中庭に明るい声が響く。

「んー、俺様がヒルダちゃんに嘘をついたことがあるかい?」

「いいえ、いいえ。では本当にお城が空に浮かんでいるのですね」

「それだけじゃねえ。その城はすっぽり水の膜に覆われているんだ。空にありながら水中の城ってわけさ。しかもその城には世界を滅ぼすほどの巨大兵器が隠されてた」

「まぁ…」

バーディングは、純真な話し相手が彼の話をすっかり信じ込んで眉をひそめるのを見て、ニヤリと不適に笑って見せた。

「安心しなって。そんなもんは俺様がぶっこわしておいたからよ」

「まぁ」

今度の「まぁ」は花が咲く様な笑顔でだった。

「姫、そのような与太話を鵜呑みになさるものではありませんよ」

「おいおい、ひでぇなあ。俺はありのままを話してるぜ?」

昼下がりの中庭には明るく陽光が差し、芝生と植え込みをきらきらとエメラルドグリーンに輝かせている。芝生の上には細かいレリーフの施された華奢なテーブルと椅子。テーブルの上にはいい香りの湯気を立てるティーカップに、甘いビスケットを載せた銀の皿。二脚の椅子、片方には白いサテンのガウンを羽織った十代半ばの少女。もう一方には、およそこの庭にもティータイムにも不釣合いな、大柄な男がどっかと腰掛けていた。いかにも旅の傭兵風のいでたちと雰囲気を纏った男だ。彼が背もたれに身体を預けると、椅子が小さく悲鳴を上げた。少女のカップに紅茶を注いだ侍女が、椅子に同情するように小さく息をつく。

「バーディングさん、姫を喜ばせようと言うのは分かりますが、物には限度がございます。空を飛ぶ城だの、島ほどもある大きさの魚だの、貴方の想像力には感心しますけど」

まだ若い侍女は男の側のカップにも紅茶を注ぐ。その白い手をごく自然に男の手が包んだ。

「リーゼ、じゃあ一緒に観にいくかい?残念ながら魚のほうは俺様が海に沈めちまったけどな」

「けっこうです」

侍女リーゼはそっけなく手を払いのけた。一瞬、目を丸くして自分の手を見つめる。男の、バーディングの手は普通では有り得ない硬く冷たい手触りを返してきたのだ。それは当然のこと、精巧なガントレットを着けているかのようなその両腕と手は、紛れもなく彼自身の身体の一部なのだ。

鉄の腕を持つ男。数年前に戦争で大怪我を負い、一命を取り留める代わりにそんな身体になったのだと、本人は何食わぬ顔で(むしろおもしろがってさえいるような表情で)語ったものだった。

いわば、バーディング自身が、彼の話に登場する他のどんなものにも負けず劣らず想像を絶する存在だとも言えるのだ。とはいえ…

「つれないねぇ」

にやにや苦笑いとも照れ笑いとも取れそうな笑みを浮かべているこの男は、そんな重い過去を背負っているようには、まるで見えないけれど。

「私は信じます。バーディングさんのお話」

少女―恐れ多くもエステルランド王国の第一王女であるヒルデガルド姫は、そんなバーディングをその青い双眸でまっすぐ見つめて真摯に言った。

「嬉しいねぇ」

「だって、バーディングさんのお話って、他のどんなお話よりもどきどきわくわくしますもの。きっと、バーディングさんが本当に体験したことだから、なんでしょう」

「さすが、よくわかってる」

姫はにっこりと笑い、そしてふと思い出して両手を小さく打ち合わせた。

「大変、忘れていましたわ」

ヒルデガルドは慌てて立ち上がりかけ、また別の何事かを思い出してせわしなく座りなおした。

「ん?どうした?」

「どうしましょう…」

姫は少し首を傾げて思案していたが、やがて意を決して姿勢を正した。

「あの、バーディングさんにお願いがあるんです」

「んー、なんでも言ってみな」

バーディングは椅子の背もたれをキシキシ言わせながら優しい声音で答える。

「実は、明後日のお昼に、このフィーデル離宮でパーティーを催すことになっていたのですが」

「そいつはいいねぇ」

「そのとき、私の大好きな音楽家さんをお招きしようと思っていたのです。その方の歌と竪琴の音色はとてもすばらしくて、まるでバーディングさんのお話みたいにくっきり景色が目に浮かぶんですよ。バーディングさんにもお聞かせしたかったのに、どうしたことかすっかり忘れていました…」

ヒルダは年相応の少女らしくしょんぼりと肩をすぼめて俯いた。

「それに、他に使いに出せるような者が、今ちょうど皆出払ってしまっていて」

「そいつを呼んでくりゃいいんだろ」

「お願いできますか」

「ヒルダちゃんの頼みならなんだってお安いごようさ」

バーディングはなにやら満足げに首を縦に振り、不敵な笑みを浮かべる。ヒルデガルドの顔にも笑みが戻った。

「ありがとうございます!さっそく馬車を用意させますね」

「馬車?んなまだるっこしいもん、性にあわねえな。馬にしてくれ」

姫は不思議そうに首を傾げたが、素直に頷いた。

「なら、私のエーデルワイスちゃんをどうぞ使ってくださいな」

「姫、そんなもったいない!」

「いや、もったいないというより…」

侍女が嗜める言葉を、バーディングの苦笑交じりの声が遮る。ところが、彼が何かを言いかけた途端。

バキ。

とうとう断末魔を上げて、バーディングの腰掛けていた椅子が潰れた。それはもう潰れたとしかいいようのない見事な壊れようだった。バーディングは芝生の地面にあぐらをかいて、やれやれと肩をすくめた。
「お姫様のための優雅な馬じゃ、身がもたねぇだろ」