◆望まない再会◆

宿場村のたった一人の生き残りの子どもは、無事に隣村の伯母の所へ送り届けた。もっとも、その伯母は煙たげに顔をしかめて吐き捨てるように呟いたのだが。

「なんだい、食い扶持がふえちまったよ」

エレーナもその腕の中の赤ん坊も、それは聞き流すことにした。ようやく少し安心したのか微かに笑みを浮かべるようになった子どもと別れ、その村で一泊し翌朝再び街道を進み始めた。

別に急ぐ必要の無い旅路だ。また半日歩けば、今度はやや大きな町につくだろう。そうしたら設備のいい宿をとってゆっくり休める。

まっすぐな道の脇は相変わらず牧歌的で穏やかな風景が広がっているが、それにわき目も振らずにエレーナはてくてくと歩き続けた。が、しばらく行った所で不思議なものが視界に飛び込んできて彼女の歩調が緩まった。赤ん坊も同じ物に目を奪われて、小さな声をあげる。

それは、とてもとても大きな青い鳥が、優雅に地上から飛び立つところのようにも見えたが、普通鳥の全身は羽毛に覆われているはず。翼と尻尾を持つ全身が鱗に覆われた生き物は、鳥ではなく竜と呼ばれるだろう。

空を切り取ったようなコバルトブルーの鱗の竜が、ちょうど翼を広げて飛び立つところだった。この道をたどったずっと先から。幸いなことに、遠すぎて竜はこちらには気づいていないようだった。

あれが、あの子の村を襲った竜に違いないとエレーナは確信した。なら、あの場所にも村か何かがあって、今まさに襲われたところなのかもしれない。しかし、このあたりの地理をよくよく思い出してみたが、次の人里に着くにはまだしばらく距離があるはずだった。

なににしろ、進んでみれば分かることだ。竜は既に風のような速さで飛び去り、影も形もなくなっていた。エレーナは再び歩調を速めた。

やがて竜が飛び立った地点が近づくと、再びあの、昨日かいだのと同じ血臭が漂ってきた。といっても、今度は前回と比べればその濃度は薄い。その血の臭いの真中で、彼女は足を止めた。

彼女の足元には、うつ伏せに人の体が転がっていた。上等な仕立ての上着を着た、めったに無いほど混じりけの無い金色の髪をした人。ただ、その胸から下は引きちぎられてなくなっていた…周辺に散乱している肉片やら臓物片が、元はその人の胸から下だったのだろう。

エレーナは空いた片手で口と鼻を覆いながら、転がっている遺体を覗き込んだ。赤ん坊もそれに倣うように身を乗り出した。

見間違いでなければ、その人物には覚えがあった。もし本人だとしたら…

「本当に死んでいるのかしら」

そよ風にもかき消されそうなほどの呟き声に答えるように、死体の首がぴくりと動く。顔が持ち上がり、見開いたまま焦点が定まらなくなっていた琥珀色の目がぐるりと動いた。微動だ似せず見下ろしているエレーナと赤ん坊を、確かに見た。

「なに、見ているんですか」

そして、その声を皮切りに、奇蹟が起きる。辺りに散乱して嫌な臭いを放っていたヒトの体の破片が集まり、元の形に戻ってゆく。まるで、時が巻き戻ってでもいるかのようだった。見る見るうちに地面に横たわる人の腹が、腕が足が再生されていく。

「うわ、気持ち悪い」

「ひどい言い草だなぁ。死んでいる師匠はもう少し丁重に扱うものですよ、ルードヴィッフィ。というか最近よく会いますね。残念なことに」

「まったくですな」

再生しながら饒舌にしゃべるその台詞に答えたのは、エレーナではなく彼女が抱いた赤ん坊だった。高く幼い声とはあまりにも不似合いな大人びた口調で。ルードヴィッフィというのが赤ん坊の名前なのだ、

「なにがあったんです?こんなところで死んでいるなんて」

「まあ、なんというかね。さすがに私も、背後から竜に襲われると、ひとたまりも無いってことですよ。忠告しておきますけど、君も竜の恨みなんか買わないほうがいいですよ」

「ほほう、恨みを買うようなことをしたんですね。」

二人は、まるで「鉢植えに肥料をやりすぎると枯れてしまうんですよ」ぐらいのなんでもない話題でも話すようににこやかに談笑している。

「ちょっと手を貸してもらえませんか。寝転がったまま話すのは、いかがなものかと思うので」

「話し終わったら、起こしてあげてもいいですよ」

赤ん坊は、その年齢の子どもが本来は絶対にするはずのない冷ややかな、まるで意固地な老人のような目で倒れている知人を見下ろした。倒れている人物はにこやかに笑ったままで舌打ちし、地面に転がったまま話し続けた。

「ええまあ、たいしたことではないんですけどね。あの竜が虫歯を治療してくれというから、治してあげたのです。その見返りに、七つもあるんだから一つぐらいいいだろうと…ああそうそう、あの竜は目が七つあるんですよ…その目の一つをいただいたら、これが殊のほか激怒しましてね。こんなところまで追いかけてきたというわけですよ。君も気をつけたほうがいいですよ」

「相変わらず考えなしですね、あなたは。それで?あの竜はどんな素性の竜なんですか」

「目が七つあって千里眼の魔力がある以外は、ごく普通のよくいる竜ですよ」

「なるほどね。村を襲ったり、悪徳医者を食い荒らしたり」

「悪徳って、誰のことです?私はいつだって善意に満ち溢れて、困っている人を助けて回っていますよ」

「それで?その目はどうしたんです」

話している間に、死んでいたはずの体はすっかり元通りになり、学者風の上着の上から羽織った白衣まで真っ白に再生された。そこにいるのはもはや胸から下を引きちぎられた無残な死体ではなく、メイフェアと名乗って各地を旅する、異端の医者だった。一見したところ二十代半ばといった年齢に見える。まだ再生したばかりで動きのぎこちない体を横たえたままで赤ん坊とエレーナを見上げている顔は、彫刻かと思うほど整っていて美しいせいか、男性なのか女性なのか今一つ判別がつかない。声も、聴きようによって落ち着いた女声のようにも、細く未成熟な男声のようにも取れる。

「どうしたって…教えてあげたいのは山々なのですが、口の中に砂が入ってしゃべりにくいんですよね。それに、急ぎの用があるので、そろそろ起き上がろうかなと思うんですが」

「ほうほう、急ぎの用ね。エレーナ、踏みなさい」

自力で起き上がりかけた医者の、白衣の背中を容赦なくエレーナの細い足が踏みつける。

「なにするんですか、ルードヴィッフィ」

とうとう顔から笑みを消して、すこぶる不機嫌そうに抗議するその声などどこ吹く風と受け流し、赤ん坊はいたずらを楽しむ子どもそのものの無邪気な笑い声を上げる。そんな様子を見上げ、メイフェアは大きくため息をついた。

「事情を聞いたら、私の用事を手伝ってくれますか?それなら、一部始終を話してもいいですよ」

「もちろん」

その即答がどこまで信用できるか分からないという浮かない表情のまま、メイフェアは続けた。

「竜の目は、加工してアクセサリにしました。腕輪の形をしたね。さすが竜の目だけあって、その腕輪には強い魔力が宿りました。失われた視力を取り戻す…いや、見る力を失った目の代わりになるのです。」

「それは今どこにあるんです。あなたのことだ、今の襲撃で奪われたりはしていないでしょう」

「そこで、急ぎの用事となるのですよ」

いつのまにかメイフェアはエレーナの足をどけて、地面に長い足を組んで座っていた。調子を確かめるように足首をぐるぐる動かし、膝をぶらぶらと揺らし、すっと立ち上がると白衣についた土ぼこりを払う。

「続きは歩きながら話しますよ。今回ばかりは『時間ならたっぷりある』というわけには行かないようなのでね」

メイフェアは琥珀色の目を険しく細めて西の空を見上げた。太陽は傾き始め、医者の目とよく似た色になりつつある。
 「この先の町に、名の知れた音楽家が住んでいましてね…」