nz はじめての南半球
11/24 パイヒアの町
オークランド到着の翌日は、
朝早く起きて冷たいSUBWAYのサンドイッチと部屋備え付けのティーセットで淹れた紅茶で朝食終了。
外を見ると、とても寒そう…。
それなのに、せっかく持ってきたからと夏物の青いスカートをはいてみました。
ロビーで待っていると迎えのバスがやってきました。
ここで一つ注意なのですが、こんかいはHISのツアーだと思って油断してはイカンのです。
初日に渡された英語のスケジュール表によると、HISのツアーといっても、現地旅行会社の現地出発ツアーをつなぎ合わせ、現地交通会社の交通機関を組み合わせたものを、自力で渡り歩くようにできているらしい。
なんかこれって、いつもの自分たちで行くのとあんまり変わらなくない?
って内心思ったけど、まあ、初めて行く国だからいい肩慣らしだ。
お迎えのバスからは白髪頭の白人のおじさんが降りてきてMIKAたんの名前を呼びました。なので、二人でささっと乗り込みました。そしてバスは出発。次のホテルへ。
そしたら、なんかモメてる。半分くらいしか理解できないのだが、どうやらここで載るはずだった人がロビーで待っていなかったということらしい。で、どこにいたのかというと自室にいたとか。
客、そろって苦笑。
ドライバーの白人おじさんはかなり怒って、たぶん結果的にはその人は置いていかれました。
たぶん…。
私たちが目指したのはオークランドからさらに北上した、パイヒアというベイサイド・リゾートタウンです。底へ着く前にワイタンギ条約グラウンドに寄ります。
これは条約グラウンドにあるマオリ(ニュージーランド先住民族)の集会場。
我々日本人にとってはあまり違和感がありません…というかむしろ懐かしさすら感じます。靴を脱いで上がるというスタイル。中は板張りの床と天井裏のない高い天井。
イメージで言うと、小中学校の体育館か大きなお寺みたい。
中にはたくさんのレリーフがあって、そのすべてに意味があるそうです。呪術的だったり歴史的だったり。文字ではなくそういったレリーフや装飾を使って記録を残していた様子。
ワイタンギ条約というのは、
ニュージーランドに渡ってきた大英帝国人とマオリの人たちが交わした、住み分け条約だそうです。
なのでこのグラウンドにはいかにも英国風のガーデニングを施した小さな庭と瀟洒な英国風建築の白い家(屋敷とか館と呼ぶには小さすぎる気がする)もありました。
もっと海辺のほうへ歩いていくと、マオリの戦用カヌーが展示されていました。
これは長〜〜〜〜〜〜〜い。なんと120人乗れるらしい。
数年前までは実際に一年に一度海に浮かべていたらしいです。
船舶の車検に通らなくて最近は飾りっぱなしだとか。
こうして見ると、なんだかマオリの建造物って赤いな。
町で売っているお土産だと、緑色のヒスイのお守りとかがメインなんですけどね。
ワイタンギ条約グラウンドを後にして、パイヒアにあるHOTEL
Paihiaに到着。
大きな高層の建物ではなく、2階建てのアパートみたいなのが3〜4棟ある、小学生だった頃両親や祖父母、いとこたちと行った三浦海岸の民宿みたいな宿で、少し怖いことに部屋前面がガラス戸でした。
これって、セキュリティ大丈夫なの?
ところがMIKAたんにとっては、そんなことより部屋の中の掃除の行き届かなさのほうが気になったらしい。私は目が節穴だからあまり気にしなくて済むので気が楽です。
ところで。
その日はとても天気が悪かったのです。
お土産買ったり、夕飯食べようと町へ歩いていくと、小雨だったものが大粒の雨と突風に変わりました。いや、風邪は最初から強かった…。
私は日傘しかもってなかったんです。晴雨兼用だったからさしてみたら、びゅうと風吹いて一発でお陀仏。
グチョ濡れで歩いていたのですが、MIKAたんが見かねて「何かレインコート買いなよ」と。
町には洋服屋もあり(当然)、登山用らしいウィンドブレーカーがNZ$90で売られていましたが高くて当初買う気なかったんだけど、やっぱり寒いし、それに
円高だからまあいいか。
って買っちゃいました。そしてその跡ずーーっと旅の間中着用してました。
店員の女の人が言うには、タイフーンが接近しているとか。こんなことはめったにないとか。
結局接近するタイフーンに不安を感じた私たち二人は、その後地球の歩き方に載っていた『35degrees
cafe』っつーところで各々ビール一杯と料理を一品食べて、早々にホテルに引き上げました。
ああ、あと小規模なスーパーで水と翌日の朝ごはんを買って。
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